EPISODE 15
愛あるエピソード 営業編
お客様との絆が、
大きな仕事につながりました。
東北支店 福島営業所|所長1985年入社
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EPISODE 15
お客様との絆が、
大きな仕事につながりました。
東北支店 福島営業所|所長1985年入社
CHAPTER01
CHAPTER01
お困りであることを知って、
何とかお役に立ちたかった。
2011年3月11日、東日本大震災発生。当時、私は東京支店に所属していましたが、自宅が宮城県仙台市にあったため、すぐに自宅と東北支店の状況確認をするために現地に向かいました。その後、震災対策本部に所属するよう命じられ、追って岩手県盛岡営業所の所長に任命されました。当時の私の震災対応業務としては、被害の大きかった地域の中で村本建設と関係のあった建築物を中心に巡回し、災害復旧の相談に応じることでした。
宮城県内に本社がある食品卸会社の社長にお会いしたのはその頃です。
震災支援活動の中で、当社が過去に施工した岩手県盛岡市にある食品会社の支店長への訪問時に「当支店の建物には被害がありませんが、宮城県内にある本社の被害が大きいみたいです」との話がありました。すぐに本社に出向き社長からお聞きしたのは「他の建設会社さんに建ててもらった本社工場や加工工場が被災したので、復旧工事を依頼したのだけれど、連絡が返ってこなくて…」「実は自宅も大変な状況で、家族のために何とかしたいから、改修をお願いできないですか」という言葉でした。困り果てている状況は身に染みるほど伝わりました。
ただ、社長のお宅は日本瓦を使った木造の立派な個人邸です。村本建設は、個人のお宅、特に木造の家はほとんど手がけていないので、困ってしまいました。そこで、上司の震災現地対策本部長に相談したところ、「私の方で木造が得意な業者に心当たりがあります。一刻も早く対応しましょう!」と言っていただきました。私も、何とかお役に立ちたいという気持ちでしたので、「よかった、力になれる!」と気持ちが高ぶったのを覚えています。
CHAPTER02
個人邸の改修からはじまり、
企業としての仕事に発展。
食品卸会社 社長のご自宅の工事に取り掛かってから数日が経った頃、私の携帯電話が鳴りました。慌てて取ると社長から「自宅の改修工事を引き受けていただいて、助かりました。当社の本社工場や加工工場の復旧工事も村本建設さんにお願いします」とのこと。私としては、とても有り難いと同時に、身が引き締まる思いでした。
それから数週間後、無事にご自宅の改修工事が終了。改めて社長から連絡があり「本当にありがとう。おかげで家族も安心して住むことができます」「落ち着いたら二人で焼酎でも一杯飲りましょう」と感謝の言葉とお誘いを受けました。電話を切ってからじわじわと喜びが込み上げてきたことは、今でも忘れられません。
時が経つのは早いもので、あれから10数年が経ちます。その後、その食品卸会社の工場や事務所などの改修工事は全て当社が担当しています。最初は個人邸の改修工事から始まったお付き合いが、企業としての仕事に発展しました。仕事は決して大小じゃない。人と人のつながりが大きな実を結ぶことがある。私がこの仕事で学んだ教訓です。
CHAPTER03
建設会社が、
地域社会に貢献できること。
建設会社として、人の役に立ち、社会に貢献するとはどういうことなんだろう…。ゼネコンの社員なら誰もが一度は考えたことがあると思います。東日本大震災において村本建設は本社と東北に震災対策本部を構え、地震によって被害を受けた橋梁や道路などを中心に復旧復興工事に対応してきました。私もたくさんの工事を担当しました。そうした公的な工事以外にも、食品卸会社のような民間のお客様のご要望を受けて、復旧や改修などの工事に当たりました。規模や種類は違っても、私の気持ち、願いは変わらず、「自分の技術や経験を生かして、困っている人の役に立ちたい」という思いでした。それは建設の仕事を選んだ理由の一つであり、私の原点でもありました。東日本大震災を通じて、このことをより深く考えるようになり、そして実際に行動で表すことの大切さを学びました。これから先も、この時の思いを忘れず大切にしていきます。
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